憲法調査会
基本的人権の保障に関する件(公共の福祉)

平成16年4月 1日(木曜日)

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山花小委員長 次に、松野博一君。
松野(博)小委員 自由民主党の松野博一でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 まず最初に、憲法で保護をするべき基本的人権の範囲と、新たに承認せられることがあるとすれば、その承認の過程についてお伺いをさせていただきたいというふうに思います。
 先ほど来、例えば環境権の問題、プライバシー権、名誉権、こういったものを憲法に書き込む、列挙する必要があるかどうかというような議論がございましたし、先生のお話の中で、例えばプライバシー権というのは、明文の根拠はないけれども、今このプライバシー権が憲法上保護されるべき基本的人権であるということに異論を挟む人はいないというようなお話もいただきました。
 そこで、第一の質問なんですが、今議論されている、今例示したような基本的人権の内容というものが、本来、現在の日本国憲法の条文の精神によって最初からその範疇の中にあった、要するに、新たに発生をしてきて何らかの承認過程を経て加えられたものではなく、もともとの日本国憲法の条文の精神の中にあって、そこから類推をされて、現在当然の基本的人権として認められるようになったのかどうかということについてお伺いをしたいというのが一点。
 もし、いや、現在の日本国憲法の精神の中にあるもともと想定されたもの以外であっても、社会的な変化、歴史的経緯の中で新たに基本的人権というのは付加されていくものだよということであれば、その場合にはどういうような承認の過程が必要かということについてお伺いをしたいと思います。
 平成十二年にヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律というのを国会で審議したわけでありますけれども、その中で、新たに一つの争点として、リプロダクトの権利というものが上がってきました。バイオテクノロジーの発展等で、今まで想定されなかったような、子孫を残していくというような技術的な方法に関しては今どんどん拡大をされているわけでありますけれども、リプロダクトの権利をどうとらえていくかというような議論もあったわけであります。
 そういったさまざまな分野で、これは人間が保障されるべき権利だという議論がある分野が新たに出てきているわけでありますけれども、新たな分野への対応として、憲法上保護される基本的人権というものの性質、冒頭の言葉に戻りますけれども、日本国憲法の現状の精神に承認されている範疇の中にあるべきものとして導かれるのか、新たに付加される要素があるのか、そのことについて御意見をいただきたいというふうに思います。
松本参考人 人権の範囲についてでありますけれども、先ほども申し上げましたように、日本国憲法の権利のカタログ自体は割合豊富でありますので、現在明文規定のある人権条項、それをまずよく見まして、そこから新しい人権と呼ばれるものが導かれるかどうかということを最初に考える必要があろうかと思います。新しい人権といっても、よくよく考えるとそれほど新しいことを言っていないということも往々にしてございますので、既にある人権の中に含まれた権利なのかどうかということを最初に確認する必要があるかと思います。
 その上で、既存の人権規定からはどうしても導けないという場合については別に考える必要がございまして、もちろん憲法を改正して新たな人権をつけ加えるというのも一つの方法でございますけれども、日本国憲法を初めとして多くの先進諸国の憲法というのは包括的人権条項というのを置いておりまして、仮に明文規定がなかったとしても、しかし既存の人権条項と同じくらい重要で、かつそれらの人権条項と整合性を持って説明できるような権利が観念できるとすれば、それは憲法上保障された人権として承認しても構わない、こういうふうに考えているわけであります。
 日本国憲法の場合は、それは憲法十三条の生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利というのがそうであるというふうに言われています。生命、自由及び幸福追求に対する権利というのは、その言葉自体は非常に抽象的でありまして、それ自体明確な中身を持っているわけではありませんで、むしろ、今申し上げたように、憲法に明文規定のない権利を根拠づけるための条項であるというふうに考えられています。それは、先ほどおっしゃったような条文の精神もそうでありますが、憲法全体の規定と整合的に解釈できるかどうかという観点から、そしてまた、ほかの人権条項と同じだけの重要性、重みを持っているかどうかという観点から判断した上で、包括的人権条項に根拠づけることによって、新しい人権というものを現在の日本国憲法でもって根拠づけることが可能になるのではないかというふうに考えております。

松野(博)小委員 個人の基本的人権を制約するためには優越する公共の福祉の概念が必要だというお話でありますけれども、基本的人権の制約の正当目的として挙げられている、優越する公共の利益についてお話をお伺いしたいと思いますが、例えばチャタレー事件の判例において、優越する公共の利益というのは、わいせつ文書の規制における性的秩序、最小限度の性道徳、健全な風俗の維持等が挙げられているわけであります。
 今列挙したような事由は、その時代ごとの価値観にかなり大きく影響を受けるものではないかというふうに思いますし、現実に、例えば今の雑誌のグラビア等の表現であれば、かつてであればとても認められなかったような表現が、相当今規制が緩やかになってきているように思います。
 不可侵の基本的な人権を制約する公共の福祉の概念が時代とともに変化をするものという概念でいいのかどうか、それに対して先生はどういうふうな整理をされているのかについて、お話をお伺いしたいと思います。
松本参考人 憲法上の権利も、時代の影響を全くこうむらないで済むというわけには恐らくいかないだろうと思いますが、ただ、おっしゃいますように、憲法上の権利というのは、やはり普遍性を標榜する必要があろうかと思います。ですから、十年、二十年ぐらいの時代の流れによって変化するということでは、これは憲法に規定することは望ましくないのではないかというふうに考えます。
 ですから、私が最初に申し上げましたように、立法の役割というのが重要だという話になるわけであります。人権は確かに普遍的でありましても、その人権を制限する公共の利益、こちらの方も時代とともに変化していくわけでありまして、この時代とともに変化していく公共の利益、これは法律に明文化することによって、一方においてその公共の利益を守る、そして他方において、それが時代おくれになったときに訂正するということが可能になるわけであります。
 国民的な広い賛同が受けられ、かつ、時代とともに変遷することがまず考えられないと思われるような普遍的な利益であれば、憲法上、明文化することに意味があると思いますが、時代の影響を受けることが明らかなものについては、これはもう憲法に取り込むことは不適切であろうというふうに考えております。
松野(博)小委員 ありがとうございました。