教育基本法案について
平成18年6月 6日(火曜日) 教育基本法に関する特別委員会
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| 森山委員長 | これより参考人に対する質疑を行います。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。松野博一君。 |
| 松野(博)委員 | 自由民主党の松野博一でございます。 参考人の先生方におかれましては、大変お忙しいところ御出席をいただき、教育基本法の改正に対してさまざまな側面から御見識をお示しいただきまして、文字どおり大変参考になり、勉強になりました。ありがとうございます。 また、複数の先生から、今回の教育基本法の改正に当たり、中教審、民間、また学界、さまざまな場において、教育基本法の改正につき多面的に繰り返し議論があった、そして教育基本法の改正の必要について、また教育基本法改正の方向についてはほぼ集約をされている時期において、国会は立法府としての意思を示すべきだという御指摘は、まさしくそのとおりでございまして、今、審議の状況を考えたときに、じくじたる思いもありますけれども、しかし、先生方から改めて御指摘をいただき、日本国教育にとりまして重要なこの法案を一刻も早く成立させなければいけないと、意を新たにした思いであります。 本日は、教育論、教育学の御専門の先生方がお集まりでありまして、先生方に質問させていただくことを大変光栄に思っておりますし、楽しみにしてまいりました。 まず冒頭に、常日ごろより私が教育基本法の改正に当たり最も重要だと考えていることにつき、先生方の御意見をいただきたく存じます。 私は、現在の教育現場において最大の問題点といいますのは、教育現場の規範の喪失ということではないかというふうに考えております。 規範とは、辞書によりますと、行動や判断の基準、もしくは判断、評価などの基準としてのっとるべきものというふうにありますが、なぜ教育現場においてこの規範が喪失をしたのかといえば、それは、規範を醸成する源泉である教育現場における権威が喪失をしたためであるかと考えます。権威の喪失といいますのは、国の権威や地域や学校の権威、教師の権威、親の権威ということであるかと思います。 権威に関しては、これはつくるべきものではなく、あくまで実践の積み重ねの結果として得られるべきものであって、当初より規定すべきものでないというような意見があることは承知をしておりますけれども、しかし私は、やはり教育現場におきましては、例えば国の権威は、日本の長く伝統ある歴史やすばらしい文化を子供たちにしっかりと伝える、そのことにより国に誇りを感じさせるということが肝要であるというふうに思いますし、教師は崇高な使命を持つ職であることを自覚していただくこと、また、子供の教育に対する第一義的な責任は親にあり、親は子供に対する権威者たるべき気概を持つこと、こういったことを宣言することによって、この規範と権威の再構築というのが始まるのではないかというふうに考えております。 今回の教育基本法の改正に当たりまして最も重要なポイントではないかと私自身考えておりますけれども、四人の先生方それぞれの御意見をいただきたいと存じます。 |
| 田村参考人 | ありがとうございます。 それでは、今の教育現場の規範の問題、あるいは教育の現場における権威の喪失の問題でございますが、実は、明治のときに多くの先達が日本の学校の仕組みをつくり上げたわけでございますが、それらの方々のいろいろ残された資料を読んでみますと、共通して言っておられることがございます。つまり、この新しい学校の仕組みというのは、家庭教育が存在することが前提だということを、いろいろな場所でいろいろな方が共通に言っておられます。つまり、学校教育が家庭教育にかわることが、できることとできないことがあるという意味だろうと思います。家庭における教育というのが、実は教育基本法には何も触れていないわけでございますが、今度の改定には、その点についてはある程度言及しているということで、その辺からまず立ち直らせる必要があるのではないかというふうに考えます。 それからもう一点、教育というのは非常にクリエーティブな作業でございます。創造的な作業と言っていいのでしょうか。つまり、一人一人違いますから、一人一人違う子供に対して創造的に活動するということと、どうも規範を喪失するということが誤解をされて、規範があるとそういう創造的なことができないというふうに長い間誤解されてきた嫌いがあるというふうに、実際現場にいて実感をいたしております。 その点に関しては、今おっしゃられた点を、これはぜひ立法府で、今回基本法をきちんと議論されて、公表していただいて、立法府の意思を示していただいた上で、やはり学校が、先生方が、きちっと話し合いをしてその点をしっかりと構築する必要があるだろう。これは、教育の内容、効果に、決定的と言えるほどの大きな影響があることだというふうに考えております。 そんなところです。ありがとうございました。 |
| 梶田参考人 | 権威の問題でありますが、非常に重要な御指摘だと思っております。 ただ、権威の背景、本当に権威が権威として機能するためには、いわば普遍的な理念といいますか、価値観といいますか、これがないとだめなわけですね。親だから何でも子供に言うことを聞けというわけにいきませんし、学校の教師だからおれの言うとおりにするのが当たり前だというわけにいかないわけです。ある理念、価値観が要ります。これが私は敗戦でまず吹っ飛んだというふうに思っております。敗戦ショック、これがずっと来まして、そのかわりに欧米から新しい価値観を持ち込もうとしたわけですね。 マッカーサー司令部は、先ほどお見せいたしました昭和二十二年の毎日年鑑に書いてありますけれども、マッカーサー元帥そのものが、これからキリスト教の理念を日本に持ち込んで、それを新しい日本の価値観にするんだ、そういうことを当時おっしゃっている。しかし、日本にキリスト教は、私はクリスチャンなんですけれども、おいそれとは根づきませんでした。残念ながら根づきませんでした。そういう敗戦ショックで、教育勅語に代表されるような東洋的な、儒教的なそういう価値観が吹っ飛んだ後に真空状態になって、そして、そこに何か言うのはタブーであるかのような状況が六十年続いてきたような気がいたします。 もう一つ、七〇年から後、豊かになりまして、豊かになって、人がおおらかになって、金持ちけんかせずになります。好きなことを好きなときに好きなようにやるのが一番いいという。しかし、その中で、どうしても、個人の利己的なものをどういうふうに普遍的な価値観でセーブするか、これが薄れちゃったと思うんですよ。学校現場におきましても、九〇年代、非常に残念なことですけれども、私はあえて言わせていただきますが、当時の文部省も、好きなことをやらせるというような間違ったゆとり教育が一部にはびこるのを許してしまったところがやはりあると思います。 そういう中で、残念ながら、豊かであればあるほど、あることを、しんどい思いをしても我慢しよう、自分で、これは嫌だけれども、これをあえてやろうというものを、普遍的な価値観をつくっていかなければいけない。 そういう意味で、新しい道徳教育というのをこれからはつくっていかなければいけない、そういう時期だろうと私は思っております。 |
| 西澤参考人 | 教育者が自分が社会に対して持っている責任感を十分に自覚しなくなったということが、私は最大の原因ではないかと思います。 もちろん、戦後、生活環境その他が決して教員に対してよくはなかったというふうに思いますけれども、しかし、小中学校の先生方の待遇が大学の教官に比べてそう悪くなかったなどという時代もあるわけでありまして、本来それでちっともおかしいとは思いませんけれども、先ほど申しましたように、そういうふうなところがあったにもかかわらず、自分たちがこの日本の社会に対してしっかりどういう責任を持つか、次の日本を担う子供たちをちゃんと育て上げていくという展望を見抜いて、その展望を伸ばしていく。しかも、それをめちゃくちゃに伸ばすのではなくて、ちゃんとした社会を意識しながら伸ばしていくというふうなやり方をもっと積極的にとればよかったのではないかと思っております。 私自身も大体研究所畑でございましたから、教育については一歩置いていたわけでございますが、学生騒動というのがございまして、平素偉そうなことを言っている先生方が、学生がちょっと脅迫的に出ますと一遍で顔色を変えて逃げ込むようなことがたくさんございまして、大変失礼でありますが、何だ口ほどにもないというふうに感じたことが多々ございます。 やはり、そういうときに自分の身を挺してしっかり受けとめる態度を持った先生方がもう少したくさんいたら、これほどひどくはならなかったのではないかというふうに考えております。 以上でございます。 |
| 渡久山参考人 | かつて戦前でも、今もそうかもしれませんが、儒教的な考え方の中に三尺下がって師の影を踏まずという言葉もありましたけれども、まさに今そういう状況がないのかといいますと、やはり私たちは、一人一人の人格が、非常に個人的な人格として尊厳ということは極めて大事でありまして、それぞれの人格がそれぞれに尊重されあるいは大事にされるというような中から一つの連帯感が生まれてくるものだと思います。 そういう意味では、やはり今、競争社会というのが余りにも言われている、あるいは拝金主義というのが言われている。昨今の事件、そのとおりでありました。その中に、人と人とのつながりというのをつくっていく、あるいは、そこの中には、信頼関係だとかあるいは友情だとかあるいは愛情だとか、そういうようなものを切り捨ててきている今の社会というようなものに大きな問題があるんじゃないかなという気がいたします。 ですから、私たちは、教育者あるいは教育現場にある者は進んで連帯感をつくり、子供と子供、あるいは教師と教師、あるいは子供と教師の間に、信頼関係とそれなりにお互いに尊敬し合える関係をつくり上げることが極めて大事じゃないかというように思います。そういう中から、一つの新しい意味での権威というのがつくられるというように思っています。 以上です。 |
| 松野(博)委員 | 次に、私が今回の教育基本法の改正において重要だと考えますことは、国と地方自治体、家庭、それぞれの責任、役割の分担であります。 参考人の田村先生は、我が千葉県において大変評価の高い学校経営を進めていただいております。この業績の第一は、学校現場の自由な裁量と責任の確立においてなされているものと考えます。 私立と同様に、今後は公立においても、校長を初めとする学校現場や市町村教育委員会の裁量自由度の拡大を図っていくことが重要であると考えます。 同時に、全国的な教育水準の維持は国の責任である、このことは今回の政府案にも明確に書かれているわけであります。 学校現場や各市町村の教育委員会の裁量を拡大しつつ、全国の教育水準を維持するためには、まず国が明確な教育目標を提示して、その目標を踏まえて、教育現場が自由な発想、手法で授業や学校運営を進めることが必要であるかと思います。 そして、各学校教育現場が自由に進める、その結果として得た教育的成果は国がしっかりと検証して、そこに問題が発生している場合は、改善について実効性のある仕組みをしっかりと国がつくっていく。この流れが、現場の自由度を高めつつ全国的な学力の水準を維持していく、このために必要な仕組みであるというふうに考えますけれども、この点について、田村先生、梶田先生の両先生に、国の教育に対する責任と地方、学校現場の責任、役割分担につき、御意見をいただきたいと思います。 |
| 田村参考人 | ありがとうございました。 実は、最近、大変貴重な経験をさせていただきました。つまり、日本と中国が、第一次大戦、第二次大戦を通じて大変な殺し合いをしている、これを次の世代にはもうなくそうということで、その方法として、日本国政府が本気になって、青少年の交流をやろう、中国との交流をやろう、こういう計画が始まりました。 二千人が第一年度ということで、ことしは二千人の第一陣が二百人ということで先般来られまして、私どもの学校にも中国の生徒が来ました。同時に先生もついてきましたので、先生との話し合いを一晩ゆっくりと、ホームステイをうちにしましたので話をしたんですけれども、中国の場合は、国の基本的な責任というのを非常に明確に出しているというのが実感されました。もっとも、どういう評価なんだと聞いたら、大学進学実績だ、それしかないと言っていましたので、これはびっくりしましたけれども。 単純といえば単純ですけれども、明快といえば明快でありまして、何でもいいと思うんですけれども、やはり国の責任できちっとしたものを示すということは、これから先、国際競争の場における我が国という状態を考えてみますと、非常に重要なことになってくるというふうに思います。 つまり、今の中高生が活躍する場は二十一世紀の半ばごろですが、今よりもっともっとグローバルな状態が進んで、国際社会の中で生きていく人間をつくっていかなければいけないわけですから、その視点で国がしっかりと基本的なことを議論して示す、これは非常に重要だと思います。しかし、実際に行う場合には、地域によって、地方によっていろいろな特別な状況がおありになるでしょうから、それは生かせるような形で国が示すという作業をなさる必要が今後絶対にあるなということを実感いたしました。 なお、青少年交流は、ドイツとフランスでは、去年、実績が二万四千人だそうです。我が国と中国は、昨年五百人だそうですから、これはぜひひとつふやしていただきたい。中高レベルでの交流ということで、これは世界平和につながっていくと思いますので、そんなことをちょっと。 余計なことを申し上げましたが、よろしくお願い申し上げたいと思います。ありがとうございました。 |
| 梶田参考人 | それでは今の問題ですけれども、昨年一年間、中教審で義務教育特別部会というのをつくりまして、きっかけは御承知の義務教育費国庫負担法の問題といいますか、小中の先生方の給料の出し方の問題ですね、これをきっかけにいたしまして、一年間非常にたくさんの時間を使いまして、知事さんも入られた、市長さんも入られた、都道府県の教育長さん、市町村の教育長さん、あるいは財政や教育やいろいろな分野の学者の方々、あるいは労働界、産業界の方々、こういう人たちが集まりまして、一年間議論いたしました。これが、昨年の十月二十六日に、義務教育改革の答申という形で、中教審答申の形で出ました。 ここでは、何を言っているかというと、簡単な話が、国の責任、都道府県の責任、市町村の責任、個別の学校の責任、一人一人の教師の責任、これを明確にしようと。 何かようわからぬで、例えばどこどこの学校で何か起こった、文部科学省は何しているか、そんなことをすぐ言われたら、これは困るわけですね。そんな細かいはしの上げおろしまで文部科学省の責任を問われたら、これは困るんですよ。まず、とりあえず設置者である、例えば小学校であれば市町村教育委員会及び学校長及び個々の先生がどうするかというのがあって、それを都道府県がどう指導して、その上で、これは全国的な一つの問題もあるなということがあれば文部科学省が乗り出す、例えばこういうことにしなきゃいけないだろう。 今まで、個別のことを、何かあるとすぐ国は何をやっているか、こうなって、逆に、国が何か言いますと、いや、学校現場のはしの上げおろしまで文部科学省言うじゃないか、こういうふうになっていた、これはまずいことだと思います。これを答申で出しております。 つまり、ナショナルミニマムとローカルオプティマムの両立がこれから必要である。これは今までも考えられてきたわけですけれども、これを仕組みとしてもっとはっきりすると同時に、国会、都道府県議会、市町村議会、そういうところでも、そういうすみ分けといいますか責任分担といいますか、これを明確にしてこれからやらなきゃいけないだろう。こういうふうに、一応、いろいろな立場があったんですけれども、その一点ではほとんどの方が一致したんじゃないかなと私は思っております。 また、国会の面でも、そういうそれぞれのレベルのいわば責任の分担、明確化、それと同時に、どこかだけが突出しない、そういうことで、一人一人の子供に本当に安定した形で豊かな教育が保障されるということを、ぜひ仕組みの面での改善を図っていただきたい、そういうふうに思います。 |
| 松野(博)委員 | 最後の質問でございますけれども、今回の教育基本法改正の議論におきまして私は重要だと思う三つ目の論点といいますのが、私学の振興、生涯学習、幼児期の教育を初めとする、現行法にはないけれども重要な教育の概念であり、また新たな教育の概念が付加をされたということであろうかと思います。 特に、私学に関しましては、日本の教育機関の大きな柱であることはもう自明のことでございますし、政界におきましても、例えば本委員会に御出席をいただいている委員の中でも、海部総理、森総理、羽田総理、それぞれ私学の御出身でありますし、小泉総理を初め、七代連続私学出身の総理が続いております。 これほど重要な貢献をされているわけでありますけれども、教育基本法の改正の折、私学振興に関してどういった御希望があるか、田村先生の方からお答えをいただきたいと思います。 |
| 田村参考人 | 大変いい御質問をいただきまして、ありがとうございます。 私ども、私学振興に関しては、これはぜひ国の姿勢として、私立学校の教育を評価して、きちっとした形でその振興の姿勢をお出しいただきたいと思います。もちろん、そのためには、私立学校自身がその責任の重要さを意識して、世に批判されないようにきちんとした教育をし、指弾を受けるようなことのないことをするというのが大前提でございます。 それをすることによって、実は日本の教育の活性化というものが、私学の存在によって、今までの歴史の中でもはっきりと証明されております。帰国子女教育、中高一貫教育、それから大学、高校の一貫教育、その他いろいろな新しい教育の分野というのは実はすべて、戦後、私立学校が実験的に行い、それが普及したという経緯がございます。ですから、現在でも私立学校の方が、大変分野を広く、そういった部分の責任を持っているというのが実態としてございます。 ぜひ、その部分に着目していただきまして、正しく私学振興をしていただくように。公立が私立の刺激によってよりよくなる、公立も頑張り、そしてそれによって私立も頑張るという、これが日本の教育をよくしていく一番いい方法ではないかというふうに私どもは考えております。 ぜひ、よろしく、今回の基本法の制定の上に立って、今後とも国の姿勢をお示しいただきたいことをお願い申し上げて、お話しさせていただきます。ありがとうございました。 |
| 松野(博)委員 | 質問を終わります。ありがとうございました。 |